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振り返れば私も同じような子供でした。算数も理科も「どうしてそうなるの?なんでこの方程式を使うの?」「なんでこんな仕組みになってるの?」という漠然とした疑問が常にあって自分の中に咀嚼しようにも、そこが邪魔して飲み込めず、先生に聞いても「そうだと決まっているから」としか教えてもらえず…結局点数は悪く苦手意識を残したまま大人になりました。仕組みは理解できても「どうして」の部分は学校では教えてもらえません。それをみんな当たり前のように、「そういうことになってる」ことを覚えさせられてる。「なんでみんな疑問に思わないのかな」「自分はなにか人と違うのかな」と小学校の頃から悩んでいました。今回の話を聞いて、あのとき自分が感じていたことは大事なことだったんだな、と気付きを得ました。有難うございます。
動画の大きなところから外れる感想かもしれませんが、動画の最後の方で「できないことの中に宝石があるかもしれない」という話がとても救いになりました。私はどうしても仕事が遅く、昨日も草刈り作業で社長から仕事の遅さを叱られ、呆れられて非常に心が落ち込んでいましたが、私の仕事が遅い、という内実にも何か宝石と言えるものがあるのかもしれない、と思えました。単に「仕事が遅い」ではなく、その内実をもっと探ってみたいと思いました。
私も子供の頃から、なぜ前提を問わないのか、ということは常々感じてきました便宜的にこう呼んでいる、現時点ではこう考えられている、とか、研究者がこう名付けた、という実情をすっとばして、さも普遍的な真実かのように教科書を信じ込ませる人々、信じ込む人々
先日、言っても言ってもできない部下を怒りました。『やる気がないなら辞めてしまえ!』という言葉が、喉元を通過して口から出そうになりましたが、それだけは言い止まりました。先生の話を聞き、私は反省しました。彼の中にも出来ないことに対する理由や原石があるのかもしれません。そこを見てあげられなかった自分を本当に情けなく思います。
指導者の鏡すぎる
数学のテスト中、「この方程式を使って解を求めなさい」って言われてその「方程式」について何でそうなるかをずっと考えてしまうのをやめられなかった。悲しい性。
私も授業はほぼ空想でした😂大人になって学歴なし計算苦手で苦労しましたが、好きな事で事業を立ち上げ不思議なくらい空きずに仕事してます。お客様を飽きさせないアイデアが溢れて昔と違い勉強している日々です。空想はアイデアが溢れ出す訓練
型にはまらない人は嫌厭されます。人は常識という枠を作ることで労力を最小に、成果を最大にしようと考えます。ただそのデメリットとして、そのような社会で飼い慣らされると、今すぐに必要でない問題は最初から無かったものとして扱ってしまう。そういったことの中に、実は重要な問題を解く鍵があったりするのにスルーしてしまう。社会問題が長期化するのには、そんな理由があるのかもしれません。
いつもラジオ感覚で話聞いてる聞いてるとなんかすごい落ち着くんよな
確かに前提が必要ない教科ほど苦手だったなあ特に数学と英語数字がドーン!文法がドーン!自分「(これがこうなる必要性、必然性はなに…?)」部分部分で勉強させられてたらこうなるのも自然だよな…
全ての不登校や適応障害の方におくりたい動画です。経験とそれを研磨して来られた方の深い言葉だと思います。
「出来ないに次のステージがある」と言える人は、そのステージまで昇華出来た人にしか言えないと思った。
寝る前に聴くのが日課になってます。いつも癒されます。
小学校入学の日に、すでに机の上に「おはじきセット(さんすうセット)」が一人一セット用意されていて、その時点でなんと表現してよいか難しいですが、「嫌だな」と感じました。学校の備品として(例えば用具室などのようなところに)用意されているのではなくて、一人一セット、強制されていて、そして何よりほとんど授業でも使用したことはなく、数えるほどでした(2回くらいの記憶。)(義務教育とはいえ)親がこういったものへは支払いをしているものだとは当然思うし、だからこそ色々疑問もあったし、とにかく私の「義務教育のはじまり」は、あのおはじきセットからの記憶です(笑)その後も先生が仰るよう、インストールされたしくみの中で(義務教育を終えたあとも)歩み続けるわけで…。習い事の世界でも、教える人がどれだけ発展的なことをもっているかで、“楽しさ”も“学び”も、なにもかも変わってしまいますね。ある時点で自分はほかの先生のところで習うようになったのですが、その先生は自分より年下の、大学の先生もしておられる方に(自身も)ついて習われていました。「手の形はどうしてそのようにするのか」や、「音の出るしくみ(その音をつくるしくみ)」みたいなものを理論立てて説明してくださったり(もちろん言葉だけでは伝わりきらないものというのも沢山あったから、見よう見まねでできるようになるまで(言葉としぐさで)説明してくださいました)、学びとなることがとても多かったです。それまではドリルのようなもので音符をかくとか(いわゆる楽譜の読み書きのお勉強(?))、曲を習うにしても(言葉が悪いですが)“通り一辺倒”みたいな習い方で、そこにクリエイティブさはありませんでした。受験を境に辞めましたが、あのまま学びの楽しさを継続できていたら、もっと違っただろうなーと。
知的行為は、空想をして初めて知的行為になると感じます。
〝前提は問わずに、とりあえず覚えなさい〟…って、ちょっと「道具の使い方を覚えましょう」に似てるなーと思いました。「お箸を使って食事する」みたいな。別に食事を、手で食べてもいいんだけどお箸を使ったほうがいい理由だってありなぜお箸を使うか……の前提を問い続けるよりも、とりあえず使えるようになってから考えたほうが早かったりもするんじゃないかとその上で(前提を一回アンインストールして)手でたべてみてもいいし。ところが、世の中には他にも便利なスプーンというものがあったりして、そっちのほうが向いている人はスプーンを使うのもありだと思うし、そもそも手でたべる食も別の文化だとおかしくない。そういうことをわかっていくのが、学習で、教育の役割なんじゃないかなーと思いました。(お箸が持てない……という一部分だけで考えこんだり落ち込んでいたら、何にせよ、もったいない。
自分は今だに就職できてません...でも希望を持てるメッセージをありがとうございました。
私も歴史の授業中とか色々連想して物語が浮かんでそれを楽しんでました笑 勿論教科書の中身は覚えられてませんでしたが笑。そういう人は別の領域に意識がフォーカスされているのかもしれません。全くもって未知の領域ですしこれに価値を見出す先生も少ないですが、しかし発明家の多くは空想家です。私たちはこの特性を活かす方法を発見できていないだけなのかもしれません。
小学一年生の時、私は母から国語のドリル数ページを終わらせるのに2時間もかかる、と笑われました。しかし後々気づいたのですが、あの時の私は綺麗な文字を完璧に写し取ることが楽しかったのです。要は、国語の漢字を覚えるのではなく、模写をするのが楽しい美術の授業をする感覚で宿題をしていたのだと思います。今になって思えばそれは芽を摘むことになってしまったのだと思います。その後、私は早く終わらせることに集中し、模写をすることは無くなりました。私にとっての宝石が奪われてしまったのは、非常にもったいないことだと思います。
自分も書いても覚えられない板書が出来ない子でしたが授業をちゃんと聞いていたのでテストでは偏りはあるものの総合すると悪くない点数でした、中学生ながら当時の学校教育の限界を感じていました。
控えめにいってそうでしょう!
私も授業 団体行動 ついていけず 今でもマイペースすぎます お話きけてうれしいです
脳は対象を何かに見立てることなしに判断することができない、というか、脳は判断するために対象を何かに見立てているんじゃないのかなって思った。だから「欺く」という表現は大げさだなぁって思った。
しかして疑った上で舞い戻り…(勿論、自分なりに納得の行く理由を持ってから)知識の隅っこにインストールしておかねば社会性を失う第一歩だ(共通配布ペルソナ)友達が沢山いるなら恐らく心配ないが(それだけの社交性が意識せずとも既にあるはず)私のような友達も居ねえすっぽ抜けた範囲を取り戻さねえ(5時間で教科書一分野ほど)でいると、必ずいずれ比喩抜きで死ぬ程酷い目に遭うのだろうな
歴史は暗記で良い気もするなその時代の事はその場に居ないと完璧なニュアンスは分からないはずだ覚えた上でおじいちゃんの話とか聞くと面白いだろうが逆に国語数学英語はどう考えてもちゃんと自力で考えを組み立てられる方がいい
梶川さんという方は存じ上げないけれど、平沢進さんみたいなこと仰るなぁ
奈良大学で日本史とか履修する事どうでしょう!!!
洛南プール50M優勝の法則でしょう・控えめにいってそうでしょう!!!!!!!!
チャンそり 始まん みあなむにだ
インストールね、まさに!俺的にはバンドルされてると思ってるよ、勉強は良い、センセーの言いなりになるのが問題、、宿題しない言われたことをやらない、指示に従わない俺は社会的に苦労をさせられたけどそれで良かったと思ってる、いつ何時でも権威に従わずに済んでるからね、権威とは権力を脅威に使う様だと俺は理解しているだから偉そう風味は偽物に見える
法律、社会、真の自由はそれらを理解してからある我らは人権を与えられている以上教育を受けさせ、労働し、税を収める義務が課せられる…ひとまとめにレッテルを貼るのは、教師の癖だがそう悪くもないかもしれない…
@@sinnkouki359 生物としての自由という前提と土台を忘れるとそういう判断になるね、卵が先か親鶏が先かの問題にもならないことなんだけど社会システムの歯車であることは後付けに前提と思わされていること、それは知らぬ他人が決めたこと、事実人生に横たわりそこから逃れられないのを知っていることと知らないのとでは全く違うよね。
念仏とかいうコーピングも 暗記にはいいけどそればっかりの作業療法士さんも ちょうっと 詰も!
あんた両さん甲斐!?あんさん>でんな>でんでんででんでん!
種智院での講義 コマプスムニダ!!!!!
そんな言い方 みあなむにだ!
振り返れば私も同じような子供でした。算数も理科も「どうしてそうなるの?なんでこの方程式を使うの?」「なんでこんな仕組みになってるの?」という漠然とした疑問が常にあって自分の中に咀嚼しようにも、そこが邪魔して飲み込めず、先生に聞いても「そうだと決まっているから」としか教えてもらえず…結局点数は悪く苦手意識を残したまま大人になりました。仕組みは理解できても「どうして」の部分は学校では教えてもらえません。それをみんな当たり前のように、「そういうことになってる」ことを覚えさせられてる。「なんでみんな疑問に思わないのかな」「自分はなにか人と違うのかな」と小学校の頃から悩んでいました。今回の話を聞いて、あのとき自分が感じていたことは大事なことだったんだな、と気付きを得ました。有難うございます。
動画の大きなところから外れる感想かもしれませんが、動画の最後の方で「できないことの中に宝石があるかもしれない」という話がとても救いになりました。
私はどうしても仕事が遅く、昨日も草刈り作業で社長から仕事の遅さを叱られ、呆れられて非常に心が落ち込んでいましたが、私の仕事が遅い、という内実にも何か宝石と言えるものがあるのかもしれない、と思えました。
単に「仕事が遅い」ではなく、その内実をもっと探ってみたいと思いました。
私も子供の頃から、なぜ前提を問わないのか、ということは常々感じてきました
便宜的にこう呼んでいる、現時点ではこう考えられている、とか、研究者がこう名付けた、という実情をすっとばして、さも普遍的な真実かのように教科書を信じ込ませる人々、信じ込む人々
先日、言っても言ってもできない部下を怒りました。
『やる気がないなら辞めてしまえ!』という言葉が、喉元を通過して口から出そうになりましたが、それだけは言い止まりました。
先生の話を聞き、私は反省しました。彼の中にも出来ないことに対する理由や原石があるのかもしれません。そこを見てあげられなかった自分を本当に情けなく思います。
指導者の鏡すぎる
数学のテスト中、「この方程式を使って解を求めなさい」って言われてその「方程式」について何でそうなるかをずっと考えてしまうのをやめられなかった。悲しい性。
私も授業はほぼ空想でした😂
大人になって学歴なし計算苦手で苦労しましたが、好きな事で事業を立ち上げ不思議なくらい空きずに仕事してます。お客様を飽きさせないアイデアが溢れて昔と違い勉強している日々です。
空想はアイデアが溢れ出す訓練
型にはまらない人は嫌厭されます。人は常識という枠を作ることで労力を最小に、成果を最大にしようと考えます。
ただそのデメリットとして、そのような社会で飼い慣らされると、今すぐに必要でない問題は最初から無かったものとして扱ってしまう。
そういったことの中に、実は重要な問題を解く鍵があったりするのにスルーしてしまう。社会問題が長期化するのには、そんな理由があるのかもしれません。
いつもラジオ感覚で話聞いてる
聞いてるとなんかすごい落ち着くんよな
確かに前提が必要ない教科ほど苦手だったなあ
特に数学と英語
数字がドーン!文法がドーン!
自分「(これがこうなる必要性、必然性はなに…?)」
部分部分で勉強させられてたらこうなるのも自然だよな…
全ての不登校や適応障害の方におくりたい動画です。
経験とそれを研磨して来られた方の深い言葉だと思います。
「出来ないに次のステージがある」と言える人は、そのステージまで昇華出来た人にしか言えないと思った。
寝る前に聴くのが日課になってます。いつも癒されます。
小学校入学の日に、すでに机の上に「おはじきセット(さんすうセット)」が一人一セット用意されていて、その時点でなんと表現してよいか難しいですが、「嫌だな」と感じました。
学校の備品として(例えば用具室などのようなところに)用意されているのではなくて、一人一セット、強制されていて、
そして何よりほとんど授業でも使用したことはなく、数えるほどでした(2回くらいの記憶。)
(義務教育とはいえ)親がこういったものへは支払いをしているものだとは当然思うし、だからこそ色々疑問もあったし、
とにかく私の「義務教育のはじまり」は、あのおはじきセットからの記憶です(笑)
その後も先生が仰るよう、インストールされたしくみの中で(義務教育を終えたあとも)歩み続けるわけで…。
習い事の世界でも、教える人がどれだけ発展的なことをもっているかで、“楽しさ”も“学び”も、なにもかも変わってしまいますね。
ある時点で自分はほかの先生のところで習うようになったのですが、その先生は自分より年下の、大学の先生もしておられる方に(自身も)ついて習われていました。
「手の形はどうしてそのようにするのか」や、「音の出るしくみ(その音をつくるしくみ)」みたいなものを理論立てて説明してくださったり(もちろん言葉だけでは伝わりきらないものというのも沢山あったから、見よう見まねでできるようになるまで(言葉としぐさで)説明してくださいました)、学びとなることがとても多かったです。
それまではドリルのようなもので音符をかくとか(いわゆる楽譜の読み書きのお勉強(?))、曲を習うにしても(言葉が悪いですが)“通り一辺倒”みたいな習い方で、そこにクリエイティブさはありませんでした。
受験を境に辞めましたが、あのまま学びの楽しさを継続できていたら、もっと違っただろうなーと。
知的行為は、空想をして初めて知的行為になると感じます。
〝前提は問わずに、とりあえず覚えなさい〟…って、ちょっと「道具の使い方を覚えましょう」
に似てるなーと思いました。
「お箸を使って食事する」みたいな。
別に食事を、手で食べてもいいんだけど
お箸を使ったほうがいい理由だってあり
なぜお箸を使うか……の前提を問い続けるよりも、
とりあえず使えるようになってから考えたほうが早かったりもするんじゃないかと
その上で(前提を一回アンインストールして)
手でたべてみてもいいし。
ところが、世の中には他にも便利なスプーンというものがあったりして、そっちのほうが向いている人はスプーンを使うのもありだと思うし、
そもそも手でたべる食も別の文化だとおかしくない。
そういうことをわかっていくのが、学習で、
教育の役割なんじゃないかなーと思いました。
(お箸が持てない……という一部分だけで考えこんだり落ち込んでいたら、何にせよ、もったいない。
自分は今だに就職できてません...でも希望を持てるメッセージをありがとうございました。
私も歴史の授業中とか色々連想して物語が浮かんでそれを楽しんでました笑 勿論教科書の中身は覚えられてませんでしたが笑。そういう人は別の領域に意識がフォーカスされているのかもしれません。全くもって未知の領域ですしこれに価値を見出す先生も少ないですが、しかし発明家の多くは空想家です。私たちはこの特性を活かす方法を発見できていないだけなのかもしれません。
小学一年生の時、私は母から国語のドリル数ページを終わらせるのに2時間もかかる、と笑われました。
しかし後々気づいたのですが、あの時の私は綺麗な文字を完璧に写し取ることが楽しかったのです。
要は、国語の漢字を覚えるのではなく、模写をするのが楽しい美術の授業をする感覚で宿題をしていたのだと思います。
今になって思えばそれは芽を摘むことになってしまったのだと思います。
その後、私は早く終わらせることに集中し、模写をすることは無くなりました。
私にとっての宝石が奪われてしまったのは、非常にもったいないことだと思います。
自分も書いても覚えられない板書が出来ない子でしたが授業をちゃんと聞いていたのでテストでは偏りはあるものの総合すると悪くない点数でした、中学生ながら当時の学校教育の限界を感じていました。
控えめにいってそうでしょう!
私も授業 団体行動 ついていけず 今でもマイペースすぎます お話きけてうれしいです
脳は対象を何かに見立てることなしに判断することができない、というか、脳は判断するために対象を何かに見立てているんじゃないのかなって思った。だから「欺く」という表現は大げさだなぁって思った。
しかして疑った上で舞い戻り…(勿論、自分なりに納得の行く理由を持ってから)
知識の隅っこにインストールしておかねば社会性を失う第一歩だ(共通配布ペルソナ)
友達が沢山いるなら恐らく心配ないが(それだけの社交性が意識せずとも既にあるはず)
私のような友達も居ねえすっぽ抜けた範囲を取り戻さねえ(5時間で教科書一分野ほど)
でいると、必ずいずれ比喩抜きで死ぬ程酷い目に遭うのだろうな
歴史は暗記で良い気もするな
その時代の事はその場に居ないと完璧なニュアンスは分からないはずだ
覚えた上でおじいちゃんの話とか聞くと面白いだろうが
逆に国語数学英語はどう考えてもちゃんと自力で考えを組み立てられる方がいい
梶川さんという方は存じ上げないけれど、平沢進さんみたいなこと仰るなぁ
奈良大学で日本史とか履修する事どうでしょう!!!
洛南プール50M優勝の法則
でしょう・
控えめにいってそうでしょう!!!!!!!!
チャンそり 始まん みあなむにだ
インストールね、まさに!
俺的にはバンドルされてると思ってるよ、勉強は良い、センセーの言いなりになるのが問題、、宿題しない言われたことをやらない、指示に従わない俺は社会的に苦労をさせられたけどそれで良かったと思ってる、いつ何時でも権威に従わずに済んでるからね、権威とは権力を脅威に使う様だと俺は理解しているだから偉そう風味は偽物に見える
法律、社会、真の自由はそれらを理解してからある
我らは人権を与えられている以上
教育を受けさせ、労働し、税を収める義務が課せられる…
ひとまとめにレッテルを貼るのは、教師の癖だがそう悪くもないかもしれない…
@@sinnkouki359 生物としての自由という前提と土台を忘れるとそういう判断になるね、卵が先か親鶏が先かの問題にもならないことなんだけど社会システムの歯車であることは後付けに前提と思わされていること、それは知らぬ他人が決めたこと、事実人生に横たわりそこから逃れられないのを知っていることと知らないのとでは全く違うよね。
念仏とかいうコーピングも 暗記にはいいけど
そればっかりの
作業療法士さんも ちょうっと 詰も!
あんた両さん甲斐!?あんさん>でんな>でんでんででんでん!
種智院での講義 コマプスムニダ!!!!!
そんな言い方 みあなむにだ!